脳脊髄液減少症、闘病記

脳脊髄液減少症、闘病記

脳脊髄液減少症との歩み009

平成三十一年になった。

三十一日、正月、二日と、異様に頭痛が悪化した。
治りかけているはずなのだが・・・

ネットをみていると、同様の訴えをしている人が多い。

頭痛は、低気圧やその他自然環境の変化にも左右される。太陽フレア地磁気に反応する人もいるというのだから、仕方ない。

「エンパス」的な過敏もあるので、うーん、いけていない年初だ。

大丈夫か?

脳脊髄液減少症との歩み008

もう年末だ。今日で仕事納めの人が多い。

幼い頃、虫歯で歯医者さんに行って、歯に詰め物をしてもらったが、当時の詰め物は、アマルガムといって水銀が使用されていた。

その時は良かった。しかし、数十年も経過すると、経年劣化で、アマルガムがとけだし、さまざまな症状を生み出すらしい。

もう10年以上前の話だが、地元で、フィシオエナジェティックのできる歯医者さんで、調べてもらい、自分の頭痛にアマルガムが関係していることがわかった。

過去の詰め物をすべてストレスフリーの詰め物に変えてもらったら、頭痛が楽になった。

このようことを経験しているから、脳脊髄液減少症なり、電磁波過敏症なり、化学物質過敏症にも、隠れた口腔内の何かが、あやしいと、最近は思っている。

脳脊髄液減少症との歩み007

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脳脊髄液減少症を患う方のブログや体験記を読むと、ほぼ寝たきりで、立ち上がると起立性頭痛で苦しい場合が多い。
だから寝たきりになる。寝たきりが多いのは私もそうだ。


脳脊髄液減少症からのメッセージとは何か?こんなことを想像している。

三木成夫先生の著書を拝読すると、人類は生命の進化の過程の全てを内包した存在である。「万世一系の生命」という表現をされるが、哺乳類も、爬虫類も、両生類も、魚類も、無脊椎動物も、あらゆる生命の記憶である「生命記憶」を、私たちは保持している。

原初の海に、三十億年の昔、太古の原形質が生まれ、海水の中で進化が育まれ、五億年前に脊椎動物が誕生した。そして、今から三億六千万前のある日、水の中に住んでいた私たちの祖先は、生命のゆりかごを捨て、陸をめざして歩き始めた。海から陸への移住。それは生命の歴史の中でも最大の出来事だった。

環境の変化か、進化の必然か、上陸という冒険の開始…

海を追われた魚たちは、重力に耐える骨を作り、体を支える手足を伸ばし、空気呼吸のための肺を用意した。

この水棲の魚から、両生類から爬虫類、そして鳥類や哺乳類への一億年をかけた進化の歴史は生命のもっとも過酷でかつ長い試行錯誤の期間であり、あるものは又水棲に戻っていくことになる。

私たちの先祖は、生命史最大の試練を乗り越えた。しかし、試練を乗り越えられなかった無数の同胞もいたにちがいない。


試練を乗り越えられなかった無数の同胞が、私の病気に仮託し、鎮魂されることを求めているような感覚に気づく。先祖供養は大切だが、ここまでの先祖供養となると、少々重い。それでも、念と向き合う。内語で、お慰めを繰り返す。

・気圧の高い水の中は、生きやすかったね、幸せだったよね…
・睡眠という営みは昔はいらなかったよね…
・肺呼吸がつらいのなら、エラ呼吸に戻ろうか…
・環境の変化に適応できず、無念だったよね…苦しかったよね…


私は、脳脊髄液減少症という経験を通じて、陸から海への冒険に破れた輩の念をお慰めする。お慰めはするのだけれど、私が同じ過ちをするわけにはいかないから、先祖が早く成仏できるよう祈り続ける。私の病気回復と、途方もない先祖供養の営みは、必ずゴールが来ると信じている。

脳脊髄液減少症との歩み006

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ずっと寝たきりだったから、ようやく外出できるようになったのだから、長年育った町、先祖の眠る町を散歩した。

徐々に体力を取り戻すのには、歩くことがよさそうだ。

先祖は、水郷で自然豊かな現「水元公園」を守ってきた、らしい。

縁ある「香取神社」にお参りし、健康祈願含め、いろいろと祈ってきた。

脳脊髄液減少症との歩み005

脳脊髄液減少症だとわかることは、福音だ。ブログやSNSや書籍で調べたところ、この病気であるとわかるまでに、気の遠くなるくらいの期間、ドクターショッピングを繰り返された方が多い。

ドクターショッピングの過程で、精神的な問題と診断されることも多い。

私も、精神科にかかり、「光トポグラフィー」という検査を受け、統合失調症と診断された。

光トポグラフィでは、脳の血流の変化を測定することで、その抑うつ症状がうつ病なのか、統合失調症なのか、双極性障害なのかの鑑別診断を約7~8割の精度で行うことができる。このことで、抑うつ症状の鑑別診断の補助検査として用いられるものだ。

機械の検査結果、医師の診断に文句を言っているのではない。

脳脊髄液減少症は、多彩な症状をうみだし、科学的な検査でも、統合失調症と見間違えられるものなのだ。

精神科の担当医に、脳脊髄液減少症とわかったこと、手術し徐々に症状が軽くなってきたことを話すと、同様の患者さんもいるという。

ただ、一気に良くなっているわけではなく、良くなったり、悪くなったりを繰り返しいるという。

そうだろうな、と思う。自分も気候や外気の気圧に左右されやすいし、良くなるプロセスもゆっくりだ。

気長に、病気と友達のつもりで、つきあうしかないだろう。

脳脊髄液減少症との歩み004

f:id:nijikimutan:20181219220958j:plain正直、ブログなどのネット情報で、元気になりましたという文章を読むと、うらやましい、自分はダメだと思っていました。

食事以外は、ほぼ寝たきりでしたから。

本をたくさん読めていいねなどと言われましたが、読書すらできませんでした。

かろうじてできたのは、スマホで漫画を読む程度。

そんな日々を送りましたから、良くなろうが、悪くなろうが、プロセスを丁寧に記述していきたいと思っています。

頭痛、頭鳴り苦しみが軽くなり、外出や友人との会話はできるようになりました。

今日も、上野のアメ横に行ったり、新しくできた書店に行ったり、心配をしてくれていた友人と会ったりできました。

帰宅の電車は、師走の帰宅時で超満員。

電磁波に弱い自分は、参りました。疲れました。

脳脊髄液減少症だけでなく、電磁波過敏症も治せねば、社会復帰はできなさそうです。

脳脊髄液減少症との歩み003

ロゴストロン。いずれ説明することになると思うが、この脳脊髄液減少症という難病から解放されるために、最も頼りにしているツールである。

私の場合、脳脊髄液減の漏れの問題は、一旦様子見で、気になっていることは、脳脊髄液の産出や流れの問題である。

ネットや本で調べた情報を網羅して、問題が解消されるよう、機械に祈ってもらっている。

ロゴストロン効果か、漢方の五苓散の効果か、手術の成果が出始めたのか、頭痛と頭鳴りが軽くなった。

久しぶりに、神保町の書店に出かけたり、友人に会ったりできた。